大好きな雪山と自然を相手に働き、暮らす楽しき日々。

仕事も生活も楽しみたい。そう考え、国内外を転々としてきた若者が、縁あって魚沼の地に移住することに。気持ちを決めさせたのは、豊かな自然。今、その大好きな自然の魅力をツアーガイドとして多くの人に伝えながら、炭焼きという伝統的な仕事をスタートさせた中川さん。フィールドは違うものの、2つの仕事は自分のライフワークと言い切り、楽しみながら意欲的に取り組んでいます。

 

中川 宏さん(炭焼き職人・バックカントリーガイド)

 

INDEX

 

中川さん

 

ゆかりのない魚沼に中川さんが定住した理由

神奈川県出身の中川さんが、魚沼市に移住したのは今から20数年前のこと。2年間の海外生活に終止符を打って帰国したものの、仕事もない、行くあてもない、まるで浦島太郎のような状態の時、たまたま声をかけてくれたのが魚沼の知人。「以前に仕事で知り合った人から声をかけられたんです。子どもを対象としたアウトドアスクールを手伝ってくれないかという話でした」。

渡りに船とばかりに、早速、魚沼へ。住んでみるとなんとも居心地がいい。自然は豊かで、冬はどこもかしこも雪遊びのフィールド。アウトドア好きの中川さんにとっては天国のような環境。周りの人たちの温かさも、ここでの暮らしを楽しいものにしてくれました。

当面の仕事があるからとやって来た魚沼での生活が、気がつけば20年以上に。それまではアウトドア関係の仕事をしながら、各地を転々とする生活を送っていた中川さんですが、冬はバックカントリーのツアーガイド、夏は田んぼの管理や、大工仕事の手伝いなどを行いながら魚沼での暮らしに馴染み、家庭を持ち、子どもが生まれ、今ではすっかり魚沼人に。

 

 

中川さん

 

遊びと繋がった生活、その考えを実践してきた人生

「母親が秋田の出身で、子どもの頃から雪が大好きだったんですよね」。その気持ちは成長しても変ることなく、むしろどんどん大きく膨らんでいきました。自然を相手に仕事をして暮らす。それが中川さんの夢でした。

冬になればボードを抱えて雪山に通う日々を過ごし、特定の仕事は持たず、ツアーガイドなどをしながらあちこちを転々とする生活を続けていました。学校を出て会社に入って仕事に励むという暮らし方は、中川さんの辞書にはありません。「遊ぶことが生活とイコールになるような、楽しめる生き方。その考えは今も変わっていません」。

日本国内だけでは飽き足らず海外へも足を向けました。「その時はアウトドア関係の仕事を見つけて定住するつもりでした」。アメリカで2年間、ヒッチハイクをしながら各地を回り、知り合いを作りながら仕事を探す日々。ある時、アラスカでハンティングガイドの仕事があると声をかけられたものの「水上飛行機で何時間もかけて行くようなところで、軟禁されたような感じでした」。それをきっかけにアメリカでの定住を断念。帰国した後、魚沼で暮らすことになったというわけです。

 

 

中川さん

中川さん

 

波が来ている!  直感を信じて炭焼き職人に

魚沼で暮らし始めてからもいくつかの仕事を経験してきた中川さんですが、最も長く務めたのが製材所での仕事。「20年ぐらい務めました。製材の仕事はおもしろいものでしたが、注文を受けてそれに応える、受注型の仕事はどこかしっくりこない感覚がありました」。炭焼きの仕事は製材所時代から「ぼんやりと頭にあって、いつかやってみようかな」という気持ちがあったと言います。

中川さんの生活信条は「遊びが生活とイコールになるような、楽しめる生き方」。スノーボードのインストラクターやバックカントリーのツアーガイドは、まさにその信条に沿った仕事です。ただ冬季だけの仕事では、家庭を支えていくことは難しいのも事実。一人でできて、自分なりの工夫をしながら“楽しめる”炭焼きの仕事を、中川さんは、生活信条の延長線上にある仕事と捉えたようです。

かつては盛んに行われていた炭焼きも、後継者不足から現役で続けている人は数えるほど。そんな状況だからこそ逆に「“波がきてる”、今、僕が始めるべきだと感じたんです」。長年勤めた製材所を退職し、炭焼き職人として歩む決心をしたのは2016年のことでした。

 

 

中川さん

 

炭焼きとツアーガイドは、どちらも私のライフワーク

「仕事をする以上は、何者かにならないと」と中川さん。それは自分の世界を作り上げること。自分のアイデンティティーとして誇れる仕事をすること。そういう意味合いだと言います。「だから、ツアーガイドの仕事はもちろんですが、炭焼きもやるなら私のライフワークだと考えてスタート台に立ちました」。

魚沼市の伝統技能継承事業の支援を受け、夏は市内にある常設の炭焼き窯で炭を焼き、冬はインストラクターやツアーガイドを行う生活が始まりました。窯の中の状態を煙で感じながら、火加減を調整して自分の思ったとおりの炭に仕上げる。

炭焼きは工夫し、経験を積めば積むほど高めていけるおもしろい仕事だと改めて感じたと言います。「知人の料理人に使ってもらったら、魚沼の白炭は備長炭と遜色ないって言われたんですよ」。炭焼きにかかわって早々に高い評価をもらえたことも、仕事に取り組む気持ちをより高めたようです。

 

中川さん

中川さん

炭出し

中川さん

中川さん

中川さん

 

写真番号

  1. 窯の素灰を投げ込み熱を下げます。
  2. 師匠の橘さんは、平気にしているけど、顔が熱くてやけどすることがあります。
  3. 今日の炭のできはまあまあですね。木の形のままできあがるのがいい炭です。
  4. 窯の外へ掻き出して集めます。
  5. 集めた炭に湿らせておいた素灰をかけて急冷させます。
  6. 灰をかけて白くなるから白炭と呼ばれています。

 

中川さん

 

魚沼は大のお気に入り、もうどこかへ行く気はない

魚沼に移住して20数年。中川さんにとってここは、“第2のふるさと”という以上の存在になりました。「休日でも市外に出るなんてことはほとんどないです」。雪をいただいた山々を眺めながら、中川さんはこうも話します「裏山に行くような感覚で、どこでも雪遊びができる。いろいろな所へ行きましたが、こんなに豊かで楽しめる自然はないですね。ちょうどいいスケール感なんですよ。遊びにも生活にも」。

若い頃は国内や海外を転々としてきた中川さんが、魚沼にたどり着き、ここで暮らすと決めた背景には、多くの人からの温かい協力もありました。それに対する感謝の気持ちは口には出さないものの、心の奥に確かにあります。

「私のように移住してくれる人を増やすとか、魚沼に何かしらの貢献ができればと思っています」。
最後にそう話してくれたことが、何よりの証しだと思えました。

 

魚沼市役所 農林課 農林室

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