心のやすらぎを求めながら挑む、二刀流の伝統技能継承者
かつて里山では自然と最も近い暮らしが営まれていました。山あいの小さな土地を耕して米を作る。山の恵みを生かして炭を作り、紙を漉く。時代と共に伝統的な暮らしは変わり、代々伝わってきた技術も、後継者がいないまま衰退の一途をたどります。
自身の生き方に疑問を持ち、自然に近いところでの暮らしを求めていた小野塚さんは、40歳を前にして料理人から転進。炭焼きと紙漉きを生業とすることを決めました。昔の人々が作り上げてきた技術の中にある心を未来につなげること。その思いを胸に、炭を焼き、紙を漉き続けています。
小野塚 英幸さん(炭焼き職人・紙漉き職人)
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壁に突き当たって悩んだ日々
『このままでいいのだろうか』。心の中の声に悩む日々が続く。高校卒業後に飛び込んだ料理人の道。畑違いの工業高校から調理師学校に進み、洋食、和食と着実に経験を積み重ねてきた小野塚さんですが、これからもこの道を進むべきかどうか、大きな壁に突き当たります。
「以前は自分のことだけしか考えていませんでした」。仕事の壁は、自身の生き方と重なり、何かに役立っている実感を得られるような生き方ができないだろうかと思うようになりました。しかし具体的な答えを出せないまま、時間だけが過ぎていきました。
悩む日々の中で、心に止めた話題がありました。環境問題です。「人間が活動することで、温暖化が進んでいる。誰にぶつけようもない怒りにも似た感情を覚えました。昔の生活に戻ることはできませんが、もっと自然に近い暮らしができないだろうか。恵みを与えてくれる自然を大切にしながら暮すことができないだろうかと思いました」。
考え、模索する中で思いいたったのが「炭」でした。料理人である小野塚さんにとって、炭は身近にあった存在です。自然に近い暮らしができる仕事であることも分かり、炭を仕事にできないだろうかという想いは、やがて行動に移すまでに膨らんでいきました。
白炭塾との出会いに光をみつけて
ある日、新聞を見ていた小野塚さんの目に「炭焼き体験」の記事が飛び込んできました。「白炭塾」というこの炭焼き塾は、魚沼市が取り組んでいる伝統技能継承事業のひとつで、職人の高齢化に伴う担い手の減少に歯止めをかけ、継承と人材育成を目的に進めていたものでした。
自分の想いが叶うチャンスだと、小野塚さんは行動に移ります。しかし、すでに募集は締め切られていました。諦めきれない小野塚さんは直接、「白炭塾」の講師を務める炭焼き職人に掛け合います。自身の想いを語り、炭焼き職人になりたいとアピール。
当時、小千谷市で料理人の仕事をしていた小野塚さん。仕事の合間を縫いながら炭焼き職人のもとへ熱心に通いつめました。その熱意と行動は、炭焼き職人のみならず、伝統技能継承事業を所管する担当課の心を掴みました。その後、小野塚さんは伝統技能継承事業の研修者として市に申請、面接などの審査を経て、2016年4月、本格的に炭焼き職人としての活動をスタートさせました。
残した根から、新しい芽が出て20年ほどでもとの森林に戻ります。
自然に生かされながら炭を焼く
魚沼市には常設の炭焼き窯があり、小野塚さんの師匠も現在では常設の窯を使っていますが、以前は材料となる木のある場所を求め、そこに窯を造り、移動しながら炭を焼くという昔ながらの方法で炭を焼いていました。それは「自然に近いところで暮らす」という小野塚さんの希望と合致し、彼は常設の窯ではなくこの方法で炭を焼くことに決めました。「ひとつの場所で炭を作れるのは2、3年です。そのサイクルで山を巡りながら炭を焼きます。同じ場所に戻ってくるのは、たぶん20、30年後だと思います」。
小野塚さんの焼く「白炭」は、「黒炭」に比べて固くしまり、たたくと金属のような“キンキン”という甲高い音がします。全国的には備長炭が有名ですが、それと同じ種類の炭で、火持ちが良く、日本料理店などで使われることが多い炭です。材料はブナ、マンサク、リョウブ、ナラなどで、特にナラはこのあたりで使える材料としてはもっとも白炭に適しているといいます。炭を焼く作業は2日程度かかります。
「材料を窯にまんべんなく立て込むことと、焼くときの火加減。これが難しいところです」。使う材料は間伐材。曲りくねったこの材料を、長い棒を使って窯の中にできるだけ多く立てて並べるのは、経験を積まないとなかなかうまくいきません。「師匠は『木が教えてくれる』というのですが、まだその境地には…(笑)」。
火加減は煙と窯からの臭いで判断して空気穴の開閉などで調整します。完全に火が回ると煙が出始め、これが白から青に変わると焼き上がりです」。約1000度で焼き上げた炭を窯から取りだし、素灰という粉をかけて急速に温度を下げます。これも白炭作りの特徴のひとつ。窯の臭いと煙と暑さに耐えながらの仕事は厳しいものですが「終わってみれば楽しい。大自然の中での仕事はやっぱり気持ちいいですね」。
- 棚田を登り切ったさらに上に小野塚さんの移動窯があります。
- 太い木は、くさびを使って半分に割ります。
- 窯の裏側から煙が上がっています。煙の色が出来具合の目安です。
- 白炭の掻き出し棒は3種類、手に持っているのはちょうど中間サイズ。
紙漉きへの新たな挑戦
炭焼きの仕事は春から秋にかけての仕事。小野塚さんは冬の仕事として、紙漉きに挑戦することにしました。豊富なわき水を利用した魚沼市の和紙は、かつては広く作られていましたが、技を受け継ぐ人が少なくなり、炭焼きと同じく伝統継承事業のひとつとして後継者を育成しています。
「まだ始めたばかりなので、失敗するほうが多いくらいです」。2016年の冬から取り組みはじめたばかりの小野塚さんは、近年まで紙漉きを行っていた家の作業場を使わせてもらい、技術の習得に取り組んでいます。
紙漉きは工程も多く、とても手間のかかる作業です。材料となるコウゾの皮をはぎ、それを煮て水洗いして細かなゴミを取り除きます。きれいになった皮をたたいて繊維を取り出します。これをトロロアオイから取った“のり”と混ぜて、ようやく紙漉きが始まります。
「特に、ゴミを取り除く作業がほんとうにたいへん。でも、これをきっちりやらないと、紙にしたときに切れたりする原因になります」。身を切るような冷たい水に手を入れ、紙を漉く小野塚さん。自分の漉いた紙が早く使ってもらえるように、修業の日々が続きます。
過去を未来へとつなげていく仕事
小野塚さんが紙漉きの手始めとして作っているのは、封筒。「ここに炭焼きをやっている山のモミジを入れて商品にできないかと思っています。今はメールでのやりとりがほとんどですよね。封筒を手にした時に、手紙を書いてみようと思うきっかけになってもらえたらと思っています。今の世の中は便利になりすぎていますよね」。
素朴で温かみのある手漉き和紙に包まれた、一葉の真っ赤なモミジ。それは魚沼の伝統文化を伝えると同時に、人と自然が共存してきた魚沼からのメッセージのようにも思えます。
「炭焼きも紙漉きも、人と自然がかかわりながら長い年月をかけて作り上げてきたすばらしい技術です。技術の中に人の思いが感じられるものだと思います。私の仕事は、過去の人たちの気持ちを、未来へつなげていくことなのかなと。生きることは、先を考えることじゃないかと、この仕事を始めて感じ始めているところです」。
壁に突きあたって悩んでいた日々に、自ら動くことで光を当てた小野塚さん。「まだまだですが、とりあえず頑張ってみます」と新たな目標を得て、力強く一歩一歩前に進んでいます。
魚沼市役所 農林課 農林室
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