入広瀬地域と都市環境をつなぐ森田引力。
自分の思い決めた通りの人生を送れる人は、この世の中にどれほどいるでしょうか。森田徳幸さんは、その希有なひとり。夢を抱き、その実現に向かって努力する。ひとつの夢が破れても、また次へ、そのまた次へ。退却することを知らない生き方が、地域に活力を与えています。
意欲的で精力的な活動は、人と人を結び、その交流から新たな発想が生まれます。今、魚沼の地で、次なる夢の実現に向かって森田さんは全速力で走り続けています。
森田 徳幸さん(NPO法人 風小僧 理事長)
INDEX
- 開高健から贈られた言葉に込められたもの
- やりたいことをひたむきに追い求めてきた人生
- 農家民宿から体験交流施設の運営へ
- 参加するとカップルができる!? 人を繋ぐ体験ツアー
- これからの夢は、アーボリストの村を作ること
開高健から贈られた言葉に込められたもの
只見線の入広瀬駅前にある体験交流施設「手仕事手ほどき館」。魚沼地方の民家の特徴をそのまま残す江戸末期の建物で、国の登録有形文化財。森田さんが代表を務めるNPO法人「風小僧」の活動拠点でもあります。
入口を入った広い土間に、一枚の色紙が飾られています。
『明日、世界が滅びるとしても
今日、あなたは
リンゴの木を植える』
作家、開高健が生前に好んで書いた言葉として知られています。開高氏が自身の生き方にも重ね、「人生の最後まで、なすべきことを精一杯やり遂げる」というこの言葉を多くの人に贈りました。
開高健と森田さんの接点は釣り。「私はフライフィッシングで、開高さんはルアー。魚沼でもよく釣りをしました」。趣味の域をはるかに超えた本気度で、森田さんは時に開高氏と、また一人でも世界各地を回り、「釣りで行ったことがないのは、アフリカ大陸だけ」と言うほど。
仕事でも趣味でも、120%の情熱で突き進む森田さんの生き様は、色紙の言葉にある生き方そのものに思えます。
やりたいことをひたむきに追い求めてきた人生
昭和30年、東京都世田谷区に生まれた森田さん。日に焼け、ギョロリとした目に光をたたえた風貌は、力がみなぎりとても還暦を超えたとは思えません。自動車の専門高校を卒業後、自動車会社でサラリーマンを3年務めたものの、その枠に収まりきれるわけもなく、エンジニアとしての技術を生かし、友人とレース用ボートのエンジンを輸入販売する会社を立ち上げました。「とても順調でしたね」と自身で言うほどの業績を上げていましたが、思うところあって石打丸山にロッジを構えることになりました。
実は森田さん、釣りとともにスピードを極めるスポーツにのめり込んだ時期がありました。自動車会社時代はテストドライバーを務め、イギリスのレーサー養成学校に通ったことも。その夢はウィンタースポーツに継がれ、スピードスキーの選手を目指した縁で、師匠のいる石打丸山にロッジを構えました。
当時はスキーブームでロッジは賑わい、オフの夏は海水浴場で浜茶屋を営み、こちらも順調。浜茶屋の営業が終了した9月から1カ月は北海道で釣り三昧の日々を過ごしたといいます。
自分がこうと決めたことをやり遂げてきた人生は、余人には簡単に真似のできるものではありません。強い意志と周りの人の協力を引き込む“引力”を備えていないと…。それは魚沼の地に移ってからもいかんなく発揮されました。
農家民宿から体験交流施設の運営へ
スキーブームが終焉を迎えると、森田さんは新たな道へと走り始めます。知人から農家民宿の経営に誘われ、2007年に魚沼市に転居。現在も運営している「農家民宿 青空」は、古民家をリフォームした味わいのある建物で、いろり端で地元の料理やどぶろくに舌つづみを打ち、のんびりとした時間を過ごせると好評です。また田んぼや畑を貸し出し、魚沼で田舎暮らしを希望する人たちの体験施設的な役割も果たしています。
青空からほど近いところに「民俗資料館」がありました。「かやぶき屋根がトタン屋根に変わったくらいで、内部は江戸時代に建てられた当時とほとんど変わっていない状態のとてもいい建物でした」。
中越沖地震で断念したものの、一時は古民家レストランを計画していたというほど、古民家に深い愛着を持っていた森田さん。知り合いの大工さんに協力を仰ぎ、またスタッフと一緒に建物を改修。そうしてできたのが「手仕事手ほどき館」です。
体験交流施設「手仕事手ほどき館」で提供される料理は、森田さんの奥様が一人で作っています。デザートに出された佐木島みかん(佐木島は、広島県三原市に属する芸予諸島の島)は、ここで作ったお米と交換したものだそうです。
参加するとカップルができる!? 人を繋ぐ体験ツアー
「手仕事手ほどき館」は、1日1組の宿泊施設であり、そのネーミング通り、地域の特性を生かしたさまざまな体験ができる施設です。米作り体験、ツリークライミング体験、和かんじきを手作りして行う冬の山歩き、メープルシロップ収穫とピザ作り体験など、実に多彩で、その企画・運営をしているのが、森田さんが代表を務める「風小僧」です。
中でも、想定外の効果に驚いているのが米作り体験。「米作り体験は、田植え、草刈り、稲刈りと年に3回行うツアーで、1回15名の募集ですが、田植えをやったら、やっぱり最後の稲刈りまでやってみたいでしょ。だからリピーターがほとんど。そのせいか、ツアーに参加した人の中からこれまでに11組も結婚されたんですよ」。体験の後は、地元料理と地酒で楽しい宴。囲炉裏を囲み、森田さんの取り持ちで大いに盛り上がる様子が想像できます。まさに“森田引力”の本領発揮です。
風小僧では、体験ツアーの他に山あいの土地にハーブが植えられた「越後ハーブ香園」の管理運営も行っています。「6月の半ばくらいかな、ここに吹く風がほんとに気持ちいい。風に乗ってハーブが爽やかに香ってきてね」と森田さんも絶賛。ハーブティーやクラフト作り体験なども行っており、さらに魅力のあるハーブの園にするため、専門家の指導を受けながらハーブ香園の改良もスタートさせるといいます。
これからの夢はアーボリストの村を作ること
「アーボリスト」という職業をご存じでしょうか。日本では「空師(そらし)」がそれに近い職業としてあります。美しい庭園を作るのが「ガーデナー(庭師)」だとすれば、アーボリストは木のガーデナー。それぞれの木にあった剪定(せんてい)などの手入れはもちろん、種子から木を育て、管理、診断、治療まで幅広い仕事を担当します。「アーボリストになるには、木に登る技術、剪定する技術、木の知識、さらに樹医の資格も必要です」。現在、森田さんは専門家の指導を受けてアーボリストの資格を取るべく勉強中。
でも、なぜアーボリストに?
「公園や街路樹の管理などで、アーボリストの必要性が増しています。枝が伸びたから切るという管理ではなく、木の特性にあった、そして美しい景観を作り、人々の憩いとなるような管理が求められています。都市だけでなく森林もそう。森が健全でいることが、川や海にも影響するんです」。それに「森が健全でないと、いい魚も釣れないしね」。
豊かな森に包まれた魚沼は、アーボリストを育てるには絶好のフィールド。全国から生徒が集まる学校を作り、アーボリストが集う村を実現することが、自身の夢であり、森田さんの描く地域の未来予想図。
「今、魚沼の小学生全員にツリークライミングの体験をしてもらうことを目標にしています。その中から、アーボリストを目指す子どもが出てきてくれたら、これほどうれしいことはないですね」。