楽しさも、美しさも、厳しさも知っている山人の自然への想い

アウトドアマンであり、詩人でもある浅井さん。山と遊び、さまざまな山の仕事に携わる中で感じた自然の奥深さ。その感覚を、山を訪れる人たちにも感じて欲しいと願っている。

 

浅井拓也さん(大雲沢ヒュッテ 代表)

 

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浅井

 

テレマークスキーの楽しさをもっと多くの人に

空が輝いていました。気持ちが晴れ晴れとしてくる抜けるような青空。啓蟄を前に、雪深い魚沼の最奥にある大白川にもようやく春の兆しが訪れたようです。まばゆい雪原には1本のシュプールが踊っています。見事なターンで滑り下りて来たのは浅井拓也さん。地元の大原スキー場近くで「大雲沢ヒュッテ」という宿を営みながら、山と関わるさまざまな仕事をしている「山人(やまびと)」です。

「今の時期は雪質が重いので、滑るのもちょっとキツイですけどね」(笑)と話す浅井さんが今、普及に取り組んでいるのはテレマークスキー。テレマークスキーは、ノルウェーのテレマルク地方で生まれた歩く、滑るの両方が可能なスキーで、現代のスキーの原型といわれているもの。「テレマークは生活の道具としてのスキーだったんです。それが滑る、歩くに特化して今のアルペンスキーやクロスカントリースキーに発展していきました」。

より早く強く滑るために踵が固定されたアルペンスキーに対して、踵が固定されていないテレマークスキーは、絶妙なバランス保持とヒールフリーという自由度があります。「だからおもしろいんです。今のアルペンスキーは、特にカービングスキーに変わってから操作性が飛躍的に向上したことで、逆に物足りなさを感じるようになって」。20代でSAJ(全日本スキー連盟)の指導員資格を取得した浅井さんにとっては、これまでとは異なるテクニックが必要なテレマークスキーはとても新鮮に映ったようです。「以前はまったく興味なかったんですが、知り合いの影響で始めたらおもしろくて、おもしろくて。何かを操る楽しさってあるじゃないですか。それがテレマークを始めて改めて感じられたんですよね」。

テレマークにハマり、60歳にしてTAJ(日本テレマークスキー協会)の指導員の資格を取得。今シーズンからTAJの公認校の許可をとり、「ookumosawaスキースクール」を開校しました。「始めたばかりですし、マニアックなスキーですから、まだまだこれからです」。大白川の山や森に、たくさんのシュプールが描かれる日を浅井さんは夢見ています。

 

浅井

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踵が固定されていないのがテレマークスキーの特徴

浅井

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写真

  1. 今回の撮影時に浅井さんから教えていただいた野生の「藤」のつぼみ。5月には、木に巻き付いたつるから一斉に花が咲きます。
  2. 雪椿のつぼみ。枝を切って家の中で花瓶に生ければ室温ですぐに花が咲くそうです。浅井さんは、山の先生です。
  3. 雪の中に見つけたうさぎの足跡。点々と山の上につながっていました。
  4. ニホンカモシカをよく見かける大原スキー場脇の山。探しましたが、今日は見つけられませんでした。

 

 

山に戻れば、山には山の楽しみがある

浅井さんの出身は、大原スキー場の奥にある旧大原開拓地。山深い地で、小・中学生時代は片道4キロの道のりを歩いて通学していました。自然に囲まれた通学路は、子どもたちにとっては格好の遊び場。浅井さんも学校の行き帰りに山での遊びや山の恵みを知り、それが今の山の暮らしの原点になったようです。

高校を卒業後、浅井さんは「外に出てみたい」という思いから市外の会社に勤めました。しかし3年半ほどして帰郷し、建設関係の仕事に。大白川に戻った理由を尋ねてみると「特別な理由はないです。何となくですよ」と浅井さん。ただ、ふるさとに戻ってもう40年近くの月日を過ごしたことが、言下に理由を語っているように思えました。

町には町の楽しみがありますが、山に戻れば山の楽しみがあります。山菜採りにキノコ採り、季節ごとの動植物との出会い。「月並みですけど、季節ごとの花や昆虫、野鳥との出会いは、毎年のことですが楽しいですね。特になかなか見ることのできない野鳥との出会いは、宝物を拾ったような気持ちになります。アカショウビン、キビタキ、イヌワシ、ホトトギスとか」。

美しい自然の光景との出会いもあります。「登山道整備のきつい作業の前の朝焼け。仕事が終わってほっとした時に目にした夕暮れの山の稜線。雨上がりの鮮やかな緑や山のシルエットとか。最近で印象に残っているは、初冬の守門岳の山頂から見た朝焼けと雲海。あの光景は思わず涙腺が緩みました」。日々の暮らしの中で、自然がふと見せてくれた“宝物”との出会い。「その時ばかりは、山で生活していてよかったなと思いますね」。

 

浅井

 

 

アウトドア好きが集まる宿を目指して資格を取得

大白川に戻り、建設関係の仕事に就いていた浅井さんがヒュッテを立ち上げたのは1994年。「自分で何かを始めたい。そんな起業心からでした」。当時はスキーブームがピークを過ぎ、スキー人口が減少の一途をたどっていた頃。大原スキー場を訪れる人も年々少なくなっていました。そんな中でオープンしたヒュッテ。浅井さんが目指したのは「アウトドア好きが集まるような宿です」。守門岳にある沢「大雲沢」を名前に付けたのも、その表れ。雄大な自然が残る大白川の山の宿らしいネーミングです。

小さい頃から山に親しみ、プライベートも含めて魚沼を代表する守門岳と浅草岳には300回以上も登ったという浅井さんは、また数年前まで狩猟も行っていて、登山道だけでなく、獣道まで知っている、まさに魚沼の“山のプロ”です。「でも、宿を始めるには自然の知識も必要だと思って、森林インストラクターの資格を取りました」。森林インストラクターは、自然のことだけでなく、林業、山の暮らしや文化、キャンプなどの森での活動と、森を知ってもらい、森を楽しんでもらうための知識と技術を持った「森の案内人」。浅井さんは、自らの体験と資格を生かし、地域のイベントや宿を訪れた人に魚沼の山や森を案内しており、宿のオリジナルのツアーとしては、毎年、八十里越えトレッキングツアーを開催しています。

 

浅井

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写真

  1. 登山道整備の時に見た、守門岳の山頂から見た朝焼けと雲海。感動で涙が出ました。
  2. 大雲沢ヒュッテ主催、八十里ツアー案内中のブナ沢にて。
  3. 大白川登山道1,300m付近から見た守門岳。
  4. 環境省のレッドリストで準絶滅危惧種に指定されている野生種のヒメサユリ。野生種は、特に色が鮮やかなのが特徴です。

 

 

美しいだけの存在ではない自然のあり様を感じて欲しい

アルペンスキーとテレマークスキーの指導員、森林インストラクターの資格を持ち、また大白川生産森林組合の一員として山林整備や登山道整備・環境調査の仕事など、山とさまざまなカタチで関わっている浅井さんにとって、山は美しいだけの存在ではありません。

「涙腺が緩むような風景に出会うこともありますが、それは一つの顔。きれいなものだけに目を向けるのは人の常ですが、人にとっての害虫が他の生き物にとって益虫となったり、人にとっての悪も善も自然の世界では一つの生態系となっています。そんなことを知ってもらえればいいと思いますが、なかなか難しいですよね。私の感じ方ですし、想いですから」。ストレートに言葉にしても、浅井さんと同じように感じてもらうことは難しいのかもしれません。でも、折に触れ、訪れた人たちにそんな話を逸話も交えて紹介していると言います。

 

浅井守門岳を背景に記念写真。山で過ごす浅井さんは、とてもいきいきしている。

 

 

自然との出会いや山での仕事を一篇の詩に込めて

浅井さんにはもうひとつ「詩人」としての顔があります。「子どもの頃から絵を描いたり、文章を書いたりするのが好きだったんです。文系というかオタク系の人間なので」(笑)。本格的に詩を書くようになったのは、大白川に戻ってからのこと。「守門に農民詩人の岡部清さんという方がいるんですが、その方の詩と出会ったことが詩を書き始めたきっかけでした」。山深い土地でわずかばかりの田を守ってきた一農民の叫びにも似た想いを言葉にした詩が、浅井さんの琴線に触れ、詩心をかき立たてたようです。

自然や山での仕事を題材に毎月、詩の投稿サイトに作品を送っており、サイトの賞を受賞したことも、新聞に掲載されたこともあるそうです。「山人(やまびと)」というペンネームで投稿している数ある作品の中から、山の自然について綴った一篇を紹介してくれました。

 

「ときには花となって」 山人

私は梅雨空の
とある山の稜線に花となって咲いてみる
霧が、風にのって、私の鼻先について
それがおびただしく集まって、やがて
ポトリ、と土の上に落ちるのを見ていた
私はみずからの、芳香に目を綴じて
あたりに神経を研ぎ澄まし、聞いている
たなびく風が霧を押しよけていくと
うっすらと太陽が光を注いでくる
豊満な体を、ビロードの毛でくるみ
風の隙間から羽音をひるがえし
花蜂たちがやってくる
 ひとひら舞い、するとその羽ばたきを忘れ、落下し
やがてまた思い出したように空気をつかむ
そのように、落下したりあがったり
きまぐれな空気の逢瀬を楽しむように飛ぶ
それは蝶々
 私は、そのように
花になったり、花蜂になったり、蝶々になったりしたが
またこうして
稜線の石になって黙ってそれらを眺めている

 

 

大雲沢ヒュッテ
住所:〒946-0303 新潟県魚沼市大白川1049番地
TEL:0257-96-3024