森の恵みを生かしたここならではのコンテンツを

東日本大震災のボランティア活動、全国徒歩旅行などさまざまな経験を経る中で、心に秘めていた自然と共生できる生き方を確認した田渕さん。魚沼の自然と温かな人々に迎えられて移住を決め、より多くの人たちにこの地の魅力を発信しようと、新たなコンテンツづくりを目指して歩み始めました。

 

田渕 一平太さん(福山峠のふるさと広場 管理人)

 

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田渕 一平太さん

 

ボランティアで気づいた「お互い様の気持ち」「寄り添う気持ち」

2011年3月11日、東北地方太平洋岸を中心に未曾有の被害をもたらした東日本大震災。この震災は被災した人たちはもとより、日本中の多くの人に有形無形の影響を与えることになりました。田渕一平太さんもその一人です。新卒で入社した会社を3カ月で退職し、ボランティアとして被災地へ。「自分で決めて入社した会社を辞めることに後ろめたい気持ちはありましたが、何かしなくちゃいけないという思いの方が強くて」。

岩手県の遠野市をベースに、県内全域でボランティア活動を7カ月行いました。一旦帰郷したものの再就職する気持ちにもなれず、再び被災地へ。さらに2年間、石巻でワカメ漁をメインに漁師のアルバイトをしながら、ボランティア活動を続けました。

「この3年間はとても濃い時間でした。ボランティアは見返りを求めるものではないですが、地元の人たちからありがとうと言ってもらえたり、困難な状況の中で私たちをもてなしてくれたり。私自身が助けられたという思いもあって、お互い様なんだなって思いました。自分に自信がなかった私でも、地元の人たちに寄り添う気持ちがあれば役に立てると思えたことも大きかったです」。被災地での活動は、その後の田渕さんの生き方に影響を与える大切な“贈り物”をしてくれたようです。

 

田渕 一平太さん

 

 

地域おこし協力隊の第一期隊員として魚沼へ

ボランティア活動に一区切りがついた田渕さんが、これからの方向性を探していたときに出会ったのが魚沼市の地域おこし協力隊でした。「母親が安全な食に対する意識が強くて、無農薬や添加物のない食事を作ってくれていたんですね。それがベースにあったのだと思いますが、中学生の頃かな、何かの折に見知った自給自足の生活に憧れがあって、農業にとても興味を持っていたんです」。

東京で全国の協力隊募集のイベントがあると聞いて参加、魚沼市の募集に応じることに。「たくさんの市町村が参加している中で魚沼市に決めたのは、米作りがしたいと考えていたこともありますが、初めての取り組みだと聞いたからなんです。すでに進んでいる協力隊に参加するより、自分が基盤を作れることがおもしろいなと思って。実際には、初めての取り組みだったので、いろんな苦労をすることになるんですが(笑)」。

 

田渕 一平太さん

 

 

次の世代へ地域を繋げるために、新たな支援組織を立ち上げ

魚沼を初めて訪れたのは真冬の2月。「大学が北海道だったので雪には慣れていましたが、魚沼の第一印象は灰色のイメージでした」。本格的に活動を始めたのは2014年の4月から。魚沼市福山新田で新たな生活をスタートしました。農業を通しての地域活性化がテーマでしたが、「何からどう手を付けていけばいいのか、手探りの状態でした。地域の中でも、まだ協力隊がどのようなものか十分理解されていませんでしたし。1年目は田んぼを1枚借りて日々米作りを行うだけで、それ以外の活動はできないというか、見つけられなかったというのが正直なところです」。

2年目を迎えて「腹をくくった」という田渕さん。「あれもこれもやろうと思わず、農業に専念しようと。そのために村の人たちに改めて一から教えてもらおうと」。福山峠のふるさと広場(福山新田の自然体験施設)でアスパラガスを栽培している方の手伝いをしながら農業を教えてもらう中、徐々に村の人たちとのつながりも深まっていったと言います。「それから本当の意味で協力隊の仕事がスタートしたと思います。ふるさと広場が村の中での自分の居場所になったことが大きかったですね」。腹をくくり、また自ら動き始めたことから、協力隊として行うことが少しずつ見えてきたと言います。

「皆さんが求めていることは、何よりも自分たちが生まれ育った場所がなくなるのが寂しい、残したいということ。その気持ちに応えることが自分の役割だと感じました。それで立ち上げたのが、『福山新田山暮らし支援会』です」。支援会では、移住希望者の相談や受け入れの窓口となり、福山新田での体験ツアーなどを実施するほか、各地で行われる移住相談会に参加し、福山新田をアピールする活動を行っています。

「全国各地で移住促進の活動が行われている中で、福山新田にフォーカスしてもらうことは簡単なことではありません。でも、地域の人たちが気持ちよく協力してくれて地道に活動を続けてきたことで、いつの間にか県内外から体験ツアーに20名も参加してくれるようになりました」。

 

田渕 一平太さん

田渕 一平太さん

田渕 一平太さん

田渕 一平太さん

 

写真

  1. コンバインで収穫する田渕さん。感謝の気持ちを込めて、自分で作った米を振る舞うイベントも行ったそうです。
  2. 福山峠のふるさと広場には、さまざまな畑が広がっています。
  3. 敷地内には雪を利用した天然冷蔵庫「雪むろ」があり、見学者に公開しています。

 

 

移住を決意させた、離れても変わらない地域の人たちの温かさ

2014年から3年間の任期を終えた田渕さんは、一旦魚沼を離れて日本縦断の徒歩旅行に出かけます。「大学時代にも自転車で縦断旅行をしましたが、今回は北海道の宗谷岬から日本海側を縦断して沖縄まで歩きました」。それは“振り返りの旅”だったと言います。「それまでは一つが終わったら、次、次と動いてきたので、振り返ることがなかったんです。旅の間に感じたことは自分の弱さです。あの時はこうすれば良かったとか、あんなことしなければ良かったとか8割が反省でした。ただ、行動したことは良かったと思いましたし、弱さも含めて自分なんだと認めることができました」。もうひとつ、腹に落ちたことがありました。「人の暮らしは、やはり自然ありき、地球ありきなんだと。東北と魚沼で自然と向き合って暮らしながら考えていたことは間違っていなかったと思えました」。

アルバイトをしながら7カ月の旅を終えた田渕さんは、再び福山新田へ。「自分の都合で離れた福山新田に行くのは正直言って怖かったです。でも全く変わっていなかった。地域の人たちは以前と同じように接してくれましたし、『終わったのなら、ウチに来いや』と言ってもらってほんとうにうれしかった。実は魚沼に戻るかどうか答えが出ていなかったんですが、やはり戻ろうって。そう思えたことも、一度離れて良かったのかなと思います」。

 

田渕 一平太さん

田渕 一平太さん

田渕 一平太さん

田渕 一平太さん

 

写真

1. 2. 3 福山峠のふるさと広場では、5月~11月の間、様々な体験会を行っています。

 

 

福山新田をアピールする新たなコンテンツづくり

米作りを行いながら、2019年4月には「福山峠のふるさと広場」の管理人に就任。より多くの人に福山新田の魅力を知ってもらうため、新たな取り組みも始めたいと話します。「ここでしかできないことを見つけて発信していかないと。素材はたくさんあるので、それをどのようなカタチにしていくかですよね。例えばふるさと広場で雪中キャンプを行うとか、最近流行しているテントサウナを一緒にやってみるとか。それと魚沼市は8割が森林なんですが、これって全国に誇れることだと思っています。今はふるさと広場が窓口になって炭焼き体験や伐倒体験などのイベントを行っていますが、森の恵みを生かした食の体験ツアーが行えないかと考えているところです」。

魚沼市にはマタギの文化が残っていることを知った田渕さんは、独学で狩猟免許を取得。「狩猟をしているのは高齢の方が多く、この文化もいつまで続くか分からない。せっかくの地域の文化を残したいという気持ちでした」。まだ1シーズン、鴨撃ちに数回出かけただけですが、田渕さんは狩猟に大きな可能性を見ています。

「ジビエに対する関心が高まっているので、ふるさと広場で作った白炭を使ってジビエバーベキューを提供したり、新しく始める食堂で冬に鴨鍋を提供するとか、いろんな企画ができると思うんですよ」。供給体制などの解決しなければならない問題はたくさんあります。「でも、あせらずにじっくりとやっていきます。10年後くらいに福山新田の名物になれるように」。行動することで自分の方向性を確認しながら、新しいことに挑戦してきた田渕さん。福山新田ならではのコンテンツつくりを目指して、また新たな一歩を踏み出しました。

 

田渕 一平太さん

田渕 一平太さん

田渕 一平太さん

田渕 一平太さん

 

写真

1 例年なら3m位の雪がある「福山峠のふるさと広場」も、今年は異常気象のせいでほとんど雪がありません。
2. 3 福山峠ふるさと広場で開催されるワークショップ「ウッドバーニング」や「炭風鈴」など木工体験も田渕さんが開催します。

 

 

 

福山峠のふるさと広場

住所:〒946-0207 新潟県魚沼市福山新田1326
TEL・FAX:025-797-2366