炭焼きの美しい炎に魅せられて、魚沼白炭の後継者に
「モノづくりがしたい」という思いとは裏腹の会社員時代。希望して転勤した職場でも状況は変わらなかった。そんな中で出会った炭焼き体験。窯の中で燃える炭の美しい輝きに心を奪われ、大手メーカーから転身し、移住をした前原さん。より良い白炭作りに日々努力を重ねながら、同じように炭焼きを目指す人が、安心して働けるような仕事にするために、白炭の新たな可能性を模索しています。
前原 明仁さん(製炭士)
INDEX
- 心に火をつけた、炭焼き体験での忘れがたい感動
- 思い付きと偶然が重なって出会った魚沼の炭焼き
- 周囲の協力を得て、炭焼き体験から半年後にスピード移住
- データ化できない炭焼きで、頼りになるのは煙と臭い
- 後に続く人のためにも、魚沼白炭の可能性を広げたい
心に火をつけた、炭焼き体験での忘れがたい感動
魚沼市の北西、福山新田にある「福山峠のふるさと広場」。キャンプ場を備え、さまざまな里山体験ができる広場の外れにかまぼこ型の建物があります。ここが前原さんの炭焼き小屋。以前は黒炭を作っていた窯でしたが、前原さんが炭焼きを始めるにあたって師匠である橘福二さんの指導を受けながら白炭用に造り替えたそうです。
バーベキューなどで使われる黒炭は、火付きが良い代わりに火持ちがしませんが、白炭はその逆。火持ちの良さが特徴で、料理店などで重宝される高級炭です。黒炭と白炭は、原木を高温の窯で炭化させるまでは同じですが、一番の違いは消火方法。窯を密閉して自然に冷ますのが黒炭、白炭は窯から出して水気を含んだ灰をかぶせて空気を遮断、急速に冷ますことで硬く引き締まった炭になります。
取材当日は、折しも窯出しの日。前原さんは原木の燃焼状態を確認しながら、入り口をふさいでいるレンガを少しずつ崩し、慎重に作業を進めていきます。レンガと土で作られた窯の温度は1,000度以上。原木は金色を帯びたオレンジ色に輝き、熱が陽炎のように青白く揺らめいています。見る者を引き込むような怪しく不思議な魅力を秘めた炎に、前原さんも引き付けられたと言います。「初めて窯出しを見た時、窯の中で金色に輝いている様子がほんとうに美しいと思ったんです」。その忘れがたい感動を覚えたのは、この広場で開催される炭焼き体験「白炭塾」に参加した時のことでした。
- 最初は、左右の小さな穴からのぞいて炭の状態を確認します。
- 入り口をふさいでいたレンガを、少しずつ取り除いていきます。
- 毎回使い回している炭にかける灰。一回の窯出しで使う量がこれくらいです。
思い付きと偶然が重なって出会った魚沼の炭焼き
前原さんが白炭塾に参加したのは、偶然からでした。「思い付きで炭焼きの体験をインターネットで検索したら、最初に出てきたのが白炭塾だったんです」。車であちこちに出かけることが好きだった前原さん。出かける目的のひとつとして炭焼きを検索したことが人生を大きく変えるとは、その時は想像もしていませんでした。「こう言うと変な人だと思われるかもしれませんが、子どもの頃から火を見たりするのが好きだったんですよね。炭焼きのドキュメンタリーを見たことがあって、少し興味を持っていたことも検索した理由のひとつでした」。
1泊2日で行われた白炭塾では、窯出しや原木を窯に入れる立て込みなどの作業を体験。道具は重いし、熱いし、作業はキツい。「でも、こんな風に一人で黙々と一心不乱に仕事に打ち込むことができたら楽しいだろうな」。そう前原さんに思わせたのは、やりたい仕事と今の仕事に対するギャップを抱えていたからでした。
周囲の協力を得て、炭焼き体験から半年後にスピード移住
神奈川県出身で、大学の工学部を卒業後、モノづくりに携わりたいと大手メーカーに就職した前原さん。管理部門配属となり、せめて現場のある環境でと思い山梨県の工場を希望し移動しましたが、本社に戻るよう指示があり、「もどかしい気持ちがあった」と言います。そんな時に出会ったのが白炭塾。塾での新鮮な体験が忘れられず、その後も工場のある町から片道6~7時間もかけて福山新田を訪れたそうです。
「ふらっと訪ねても温かく迎えてくれるし、居場所がないような思いをすることもありませんでした」。人との距離感が適度で、気持ちが楽だった。「ここでならやっていけるかもしれない」。訪れる度にそんな思いを募らせていった前原さんは、ついに移住を決意。なかなか一歩が踏み出せない性格、と自身を語る前原さんですが、この時ばかりは「勢いです。踏み出してしまえ! って感じでした」。
白炭塾に参加したのが2017年の夏、移住を決めたのがその年の10月。そして翌年の1月に、前原さんは福山新田の住民となりました。“勢い”とはいえ、このスピード感。その背景には周りのサポートもありました。「性急な希望だったにも関わらず、関係者の方にとても良くしてもらって」。魚沼市のまちづくり室(現:地域創生課)から支援住宅や当面の働き場所として森林組合を紹介され、就職も決定。とんとん拍子で進んだと言います。
データ化できない炭焼きで、頼りになるのは煙と臭い
森林組合で2年間、伐採作業を補助する仕事などを行い、冬季は山菜工場での下処理の仕事や除雪作業などに従事。その間にも師匠の橘さんや炭焼きを行っている移住者の先輩たちと交流を重ねながら、自身の窯が出来上がった2020年に炭焼きとしての第一歩を踏み出しました。「初めて作った時は、売り物にならないようなくず炭ばかりでした(笑)」。
窯の大きさと原木の量にもよりますが、前原さんの窯では5日間かけて炭焼きします。出来上がる白炭は15キロ入りの袋に7~8俵ですが、当初は4~5俵しかできなかったそうです。白炭はいかに炭素分が多い状態にするかが大切で、そのためには十分な炭化が必要です。逆に炭化が不十分だと、使ったときに煙や臭いが多く商品になりません。「最初は怖がって、必要以上に時間をかけて燃やしていたので量が減ってしまって」。十分に炭化し、壊れたり折れたりせずに仕上がった白炭が一級品。それより短くなってしまったのは二級品。細かく折れてしまったものは三級品、さらに細かいものは粉炭として燃料以外の用途に用いられます。
仕上がりの良し悪しを決めるのは、窯に取り入れる空気の量。それによって温度が左右されるため、微妙な調節が必要です。「データ化しようと思いましたが、要素が多すぎてムリでした(笑)」。気温や湿度によって窯の状態も違いますし、原木の状態もそれぞれ異なります。今でも窯の温度は計るそうですが、あくまで参考程度。最終的に仕上がりを判断するのは、窯の後部に設けられた煙突から出る煙の色と臭い。「青く透明な煙が出始めて、タール分が燃えるような臭いがしたら窯出しの合図です」。丹精込めて作った白炭の成否が分かる窯出しの瞬間は、ワクワクドキドキ。「一本モノの炭がそろっていると、やっぱりうれしいですね」。
後に続く人のためにも、魚沼白炭の可能性を広げたい
白炭の中でも全国的に名が知られているのは備長炭。原料には堅く重いウバメガシを使います。それによって硬度が高く、火力が強く、火持ちのする仕上がりになります。ただ、昔から地域の産業として原木を確保してきた有名産地と、魚沼の炭焼きの環境は異なります。ここで使われる原木は、里山整備によって伐採されたものが中心。ブナ、カエデやモミジ、リョウブなど、さまざまな樹種が原料となります。「一番いいのはナラですね。これはキチンと作れば一級品になります」。それ以外は密度が低い材質で、高品質な商品にはなりにくい。
「でもね、黒炭はイヤだけど、備長炭を使うほどでもない。そうしたユーザーは確実にいます」。現在は地元の問屋に卸しているほか、一部は飲食店に直販もしているそうで、その販路を広げていくことと炭の用途を燃料以外にも拡大していくことが、前原さんの今後のテーマだと言います。「これからも魚沼の炭焼きが続いていくためには、ちゃんと職業として、事業として、成り立っていくようにしていかないと」。自分の後に続く人が出てくるためにも、魚沼白炭の可能性をもっと広げていきたいと力強く話す前原さん。名刺に書かれた「製炭士」という肩書には、そんな思いが込められています。
一番向こうにある原木の山がナラ。焼き上がると金属のような音がします。
手前の白いビニールひもが一級炭、右の青いひもが二級炭。赤いひもを付けたのが三級炭です。
前原 明仁
住所:〒946-0207 新潟県魚沼市福山新田367
TEL:090-9387-0232
Instagram : @uonuma_hakutan