大白川の集落から破間川沿いに県道385号線を進み浅草橋を渡ると、国定公園に定められる浅草岳の麓に音松荘はあります。初代の浅井音松氏がこのあたりの土地を開拓し、山菜や魚を採ったり炭を焼いたりと森や川の恵みで生活を始めたのは明治の終わり頃。
民宿になる前の音松荘
第2次世界大戦前は民宿として営業していたわけではなく、豊かな自然の中で山菜や魚を採ったり炭を焼いたり、米や野菜を作ったりと、森や川の恵みで生活をしていました。また新潟県三条市から同県魚沼市を経由して、福島県南会津郡只見町に至る八十里街道を通る商人などを泊めて、塩などと交換していたそうです。
今のように整備された道もない時代ですので、雪が積もる冬は集落へ行くことも大変で、保存食などで冬を越したそうです。
終戦そして民宿へ
先代の乙一氏が戦地から帰ってきて、戦後日本が豊かになるに連れて都会から徐々に登山にくる人が増えてきました。今ほど高速道路や交通の便も良くない時代ですので、泊まれる場所が必要になってきます。浅草岳、守門岳と大白川の2つの山にアクセスの良い場所にあったこともあり、山小屋だった音松荘を乙一氏が受け継ぎ、民宿としての営業を初めます。
次第に渓流釣りのお客さんも増えてき、「浅草岳の男」と呼ばれ、この地域を知り尽くした乙一氏を慕ってやってくる釣りのお客さんで繁盛しました。夜は釣れた魚を囲炉裏を囲んで焼いて、色々な話などに花を咲かせたそうです。
観光客の増加と山菜の乱獲
新幹線や高速道路もできて都会から近くなったこともあり、美味しい山菜が採れることで有名なこの地域へ都会から山菜採りへやってくる人が増えました。それにともなって、そういった人たちが勝手に地元の人たちが管理して守って来た山に入り、山菜を採っていくというような事件が多発するようになります。
その中には自分が食べる分だけでなく、販売するために根こそぎ持っていくような輩も多くいました。そのような人を地元の人が注意すると刃物で脅されたりするということも多々あったそうです。乙一氏はこのような状況を危惧し、この状況を多くの人に知ってもらうために大変努力されたそうです。
美味しいと評判の大白川で取れる山菜ですが、勝手に山に入って採取してはいけません。
だからと言って美味しい山菜が食べたい気持ちはみんな同じ、大白川の民宿では旬の季節はもちろん、保存食として一年を通して様々な山菜を食べることができます。
そうは言っても「自分で採って食べてみたい!」という方もたくさんいらっしゃるでしょう。そのような方は山菜採りツアーやわらび園、各民宿の方々が管理しておられる場所で山菜採りを楽しみましょう。
内湯で温泉
今回紹介させていただく民宿の中で、音松荘だけが宿に温泉があります!街とは違うゆっくりとした時間の流れる大白川へ、美味しいご飯を食べて温泉につかってくつろぐ贅沢を味わいに来てください
音松荘 おとまつそう
電話番号: 025-796-2927
新潟県魚沼市大白川887-559
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